1952年、パリへ旅立ち戦後の国際舞台に単身で闘いを挑み大きな成功を勝ち得た抽象画家「菅井汲」
この作家を知ったのは彼の最後の愛機が収蔵されている広島県立美術館のカレラRSを取材し記事にされた方から話を伺ったのがきっかけです。
ポルシェを愛し、時速250KMでオートルートを疾走するスピード狂。自動車事故で首の骨を折る瀕死の重傷を負いながら「ここで車をやめたら負けや」とさらに高性能なポルシェを購入したという逸話の持ち主だったということに私が興味を持ったので、後日、掲載された記事が送られてきました。
私は一億より はみ出した日本人でありたいとねがった。
PORSCHEをもちたいと思った。 -1958年
平凡な人間の群れから離れ、屹立した芸術家として世界と向き合うために、ポルシェはなくてはならない存在だっという。
アンフォルメル風の作品から出発、1963年頃から作風に変化の兆しが現れ、それまでの有機的な形態の描写から、整理され、記号化された菅井汲独特のスタイルが形成されたのはポルシェ・カレラを運転し、そのイメージを大画面に明快な色彩と形態とによって再現したかのような手法だったと、、、
日常生活のなかに死と直結した緊張感を自らもとめることによって、安定をはらいのけ、制作にむかう自分を常に軽快はさわやかさの中におくストイックさ。
<生の手応えがインスピレーションを刺激する>
私が常々、偉人の好きな作品に共通している点は作品から自分の命や大切な人の命の危うさや儚さを感じます。
ギリギリの所にいるからこそ、何かを生み出そうとする力が働いて、こういう作品ができるのだろうなーと思っていました。
菅井汲のような強い精神力と肉体と死と背中合わせの生き方を今のアーティスト達に求めるのは無理ですが、そんな作家が現存しておられたら会ってみたい、、、、<芸術の孤独を生きた>気骨のある作家が神戸生まれであったことを知れて良かったです。