岐阜県北西部の世界文化遺産・白川郷。
白山に源を持つ庄川の上流にあり、以前は「陸の孤島」ともいわれた辺境にあります。
そう呼ばれるに相応しく、吊り橋を渡って入村しました。
橋を渡っている時はゴォーと凄い音が響いてくる感じで、大勢が渡るともちろん揺れます。
白川郷の大型木造住宅の集落のたたずまいは多くの人が郷愁を覚えるかもしれません。
国の重要文化財に指定されている「和田家」
合掌造りは茅葺きの屋根がてのひらを合わせたような急勾配の山形にした建築。
屋根の両端が本を開いて立てたような形なのは重くて多い積雪に耐えるるためです。
1階の囲炉裏から暖をとり、風通しを良くする目的で2階から上の床板には隙間があり、養蚕が営まれてしました。また囲炉裏の熱や煙には家屋の防虫・防湿効果があります。
他の家も同様に主屋は妻側を南北に向けて建っているのは、これは風通しを良くするための工夫です。
建築材の接合には木製のくさびやねそなどが用いられ金属の釘は使われていません。
それは年月とともに強度を増すという先人の知恵によります。
黒光りする屋根裏の艶は何百年もの歳月と風雪に耐えてきた営みを感じます。
そして厳しい地形と気候風土の中で培われた生活や当時の文化を伺うことができる生活用具が展示されています。
そう大きくはないですが、ちょうど屋根の葺き替えをしている所を見かけました。
人の手なしには維持できない合掌の家々には、「結」と呼ばれる助け合いの精神で建築物を守っています。
ここでは「絆」とう言葉が生き続けているようです。
変わって飛騨の古い貴重な民家が移築復元され、なつかしい農山村の暮らしの博物館「飛騨の里」
こちらはちょうどライトアップされ、幻想的な集落になっていました。
ちょうどお雛祭りということで寄付をされた土雛が、約600体展示されていました。
飛騨地方では現代のような立派な雛人形が飾られるようになったのは昭和40年代頃からで、それ以前は多くの家庭では土人形を飾りました。
お供えは桃の花、あさつき、、菱餅、あられ、炒り豆など。
お雛様も一度に購入できないので毎年すこしずつ購入していき、段飾りを一式揃えるのに数年かかる家庭がほとんどでした。
現代は購入はできても飾るスペースがなくて段飾りをする家庭は少なくなって来ていますが、子供の無事な成長を祈る雛飾りは女の子の華やかな行事としていつまでも後世に続いていってほしいですね。
アート〇美空間Saga